働くひと

英語学習の進化のなかで、レアジョブに来た理由

 
 

安藤 益代:法人事業本部 副本部長
人工知能による自動採点を使った英語スピーキング力テストPROGOS(プロゴス)の運営と普及をミッションに、2020年レアジョブに入社

 
1社目:大手シンクタンク
2社目:外資系製薬会社
3社目:日系証券会社ニューヨーク⽀店
4社目:国際教育専門会社(国際教育研究所所長を経て、取締役に就任)
5社目:英語試験実施団体(普及促進部 部長に始まり、IP事業本部 本部長、事業開発本部 本部長を歴任)
6社目:eラーニング会社(入社後、執行役員に就任。子会社を立ち上げ、同社取締役を兼ねる)

聴き手:外部の人
 
 

安藤さん、これまで所属企業ではどの部門でもものすごい実績を残されてきた上に、英語教育関連企業の役員クラスを渡り歩いてきた“業界の有名人”だとお伺いしたのですが、レアジョブに来るまではざっくりどのようなキャリアだったんですか…?

 

 

ありがとうございます、有名人ということになってるんですか?(笑)キャリアとしては、留学したい、ずっと仕事を続けたいという気持ちは初めから強かったですね。大学卒業後、大手シンクタンクに就職し、その後、外資系の外資系製薬企業社に転職しました。

程なくして結婚し、夫が企業派遣で留学することになり、じゃ、一緒に留学しようということで両方が合格したシカゴ大学に通うため、シカゴに移り住みます。その後のニューヨークでの生活を含めて、7年半をアメリカで過ごすことになりました。

振り返ってみると、このアメリカでの体験がキャリアとしても転換期になりました。

帰国してからは、英語学習・留学支援の専門会社、企業等で広く使われている英語テストの試験運営団体などで働いたあと、eラーニング企業を経てレアジョブへ。総じて、主にグローバル人材育成・英語教育分野に携わっています。

キャリアとして転換期になったというアメリカでの7年半は、どのように過ごしたんですか?

ここでしかできないことをやろうと思い(笑)、シカゴ大学の大学院(MA)を卒業したあとはインターンとして働き、その後ニューヨークに移り住んでからは、日系証券会社で現地採用として働き始めます。

その後、子供が生まれたんですが、出産後4日くらいで退院し、その後ベビーシッターを頼んだりして約5カ月月後くらいには仕事に戻りました。

「ニューヨークで自分の価値を高めるには何をしたらよいだろう?」と考えたときに、夫がMBAの勉強をする様子が、横から見ている限りは簡単そうに見えて…。いや、それが甘かったのですが、近所のニューヨーク大学院に入学し、子育てしながらMBAを取得した…という流れです。

すごい。バイタリティの怪物ですね。駐在員の奥さんでここまで積極的に活動される方って少ないと思うんですが、どのような考えだったんでしょう?

 

 

私がアメリカにいたのが1986年から1993年頃なのですが、確かに、この頃は駐在員の配偶者が働くというと、ほとんど変人扱いでしたね(笑)。海外駐在中は、家庭を守って、子育てして、日本人コミュニティに顔を出して…というのが普通と思われていた時代です。

ただ、アメリカで過ごして多様な人や価値観に出会ううちに「自分がやりたいことを自分で決めて自分のペースで実行する」ことが自然と思えるようになったんですよね。

日本とアメリカどちらが良いかという話ではないんですが、やはりアメリカでは“個人の選択”が大切にされますし、女性だろうと母親だろうとやりたいことがあれば何でもチャレンジできるし、チャレンジするのは良いことだ、という空気感があります。

今は、共働きが当たり前の時代ですが、配偶者のどちらかが転勤や留学をすることになった場合、カップルがどのようにして家庭とキャリアのバランスを取っていくかは、若い世代にとっても難しい問題だと思います。

人によりいろんな選択肢があっていいと思いますが、当時の私は、配偶者に合わせていくからには、そこでしかできないことをやって自分の価値を高めておこう、そうしておけば、あとでキャリアは何とかなるんじゃないか、と楽観的に考えていました。

その後帰国されてから英語教育に携わるようになったのは、何故ですか?

海外に行ってみて、改めて、「英語力って大事だな」と思ったんです。いたってシンプルですが(笑)

当時はバブル全盛期だったこともあり、いろんな日本人がものすごい頻度でアメリカに出張や駐在で来ていました。でも、英語によるコミュニケーション力が足りなくて、どうしてもその人の良さが外国の方に理解されにくいという状況を多く目にしました。

やっぱり日本のビジネスパーソンって真面目で人柄もよくて、仕事もしっかりやるし、信頼のおける方が多いと思うんです。でも、その良さが、英語が話せないことによって、その良さがなかなか伝わらない。

日本人マネジャーのコミュニケーション不足で、指示の意図が誤解されているような状況が結構あることに、アメリカ人社員同士の立ち話等から気づいて、とてももどかしかったです。

近所付き合いをとってみても同様で、アメリカではハロウィーンの日などは家族総出でコミュニティのイベントを楽しみますよね。ですが、あまりそのような習慣がない日本人家族は父親が参加することが少なく、「日本人ってパパは出てこないのよね」と、現地の友人から皮肉られたこともありました。

英語コミュニケーション力の不足により、文化や習慣の差から生まれる、”ちょっとしたすれ違い”に気づかない日本人も多かったです。自戒も込めて、そう思いました。

こうした体験を通して、日本から多くの“グローバル人材”を輩出するためには、まず日本人の英語コミュニケーション能力を高めなければいけないと痛感しました。それが、後のキャリアに結びついていきます。

英語教育業界に入られてからは、どのような経緯でレアジョブにたどり着いたんですか?

 

 

帰国後は、国際教育専門会社で約15年勤務し、グローバル人材育成を目指して留学体験や国内英語合宿プログラムなど英語コミュニケーション能力を高めるプロジェクトを推進しました。

その中で、能力を高めるためにはゴール設定とそこに向かうモチベーションが重要と気づき、英語力の基準として企業等で広く使われている英語テストの運営団体に入職したんです。

そこで7年近く働き、英語テストならびに関連教材の普及を担当しました。企業の人材育成担当の方や専門家の方とともに、コミュニケーション力育成のためのテスト活用についていろいろと検討しました。ちょうどスマートフォンが普及し、日常生活でもIT化が急速に進展する時代に入った頃です。

そんな状況下で、グローバル人材育成や英語学習・英語テストの事業領域においても、デジタル技術の活用によってブレークスルーが生まれる予感がしました。学習データを活用したさまざまなイノベーション、HRテクノロジーへの注目などグローバル人材育成を取り巻く環境も急速に変わっていたんです。これらの領域での経験や知識が、これからは必要になると感じました。eラーニング会社に転職したのは、この辺りが理由になります。

その後、「テクノロジー×グローバル人材育成」という軸で広く選択肢を見て、これから教育業界にインパクトを与えられる可能性が最も高い企業で働きたいと考えて、レアジョブを選択しました。

レアジョブではどのようなことをされる予定ですか?

テスト事業を担当します。具体的には、CEFR(セファール)という語学力評価の国際標準と、人工知能による自動採点を使った次世代型英語スピーキング力テストPROGOS(プロゴス)の運営と普及を行います。

「どの程度英語が話せるのか」というのは、最も重要でありながら最も曖昧なまま扱われてきた領域でもあります。ここに対して誰もがイメージできる明確なモノサシを定着させることで、目標設定や効果測定が容易になります。CEFRは語学力を示す信頼性の高い指標として世界的に普及し、PROGOSのようにCEFRに準拠したテストが開発されたり、他の英語テストでもCEFR換算表を出したりしています。

また、PROGOSは自社開発した自動採点技術を使っているので、安価でかつスピーディに結果がでるという利便性も備えています。

これまでの経験を踏まえても、このサービスは英語コミュニケーション能力育成のインフラとなるような革新的なものだと思っています。日本人が、自分の英語スピーキング力をタイムリーに、そして手軽に知ることができるようになれば、英語学習への取り組み方そのものが変わっていくんです。

長年この業界にいますが、英語学習の世界も、いくつかの企業の積極的なデジタルトランスフォーメーション(DX)により、大きな転換期を迎えるフェーズにあると感じています。

自分を振り返ってみると、キャリアの軸である「英語コミュニケーション力育成・グローバル人材育成」も時代とともにニーズや方法が変わってきたことがわかります。過去の積み重ねにこだわることなく、現状に甘んじることなく、常に最先端でキャリアのミッションを実現したい。その試行錯誤の連続だと思っています。

自分自身、年齢に関係なくまだまだチャレンジングな場にいられることが、とても嬉しいですね。