今までのキャリアにて500名を超える受講者の学習支援を行う。GABAにて英語学習アドバイザーを経験後、NTTグループに転職しグローバルネットワークエンジニアとして日本と海外をつなぐ通信インフラの運用に従事。子供向けから大人まで幅広く商品開発を担っています。TESOL修了。ESAC®︎Professional資格保持者。
今レアジョブでは「英語のスピーキング力アップを保証する」サービス(スマートメソッド®コース)を展開していますが、これはどのようなサービスなんですか?
約4カ月という限られた期間で、スピーキング力を向上させることを保証するサービスです。
ライ●●プのようなパーソナルトレーニングのサービスのイメージですかね?
そうですね。ビジネスシーンにおいて英語の必要度が高い方に、短期間で確実に英語を話せるようになっていただける内容になっています。特に、海外赴任の時期が決まっているなど、緊急性が高めの方のご受講が多いです。
「スマートメソッド®コース」では、語学のコミュニケーション能力別にレベルを示す国際標準規格・CEFRの評価基準を採用。この基準に基づいて受講者のスピーキング力を評価します。また、日本人版であるCEFR-Jの10段階に合わせてレベルを区切っているのですが、卒業時までに1段階以上のレベルアップを保証しています。
実際、そんなこと、できるんですか?
サービス提供を始めてから約1年が経ちますが、ほとんどの卒業生がレベルを2以上アップさせています。
「スマートメソッド®コース」が提供しているのはただの英会話レッスンではなく、“スピーキング力を上げるために必要なすべての要素”です。したがって、従来のオンライン英会話とは抜本的に違うものになっているんです。
そもそも、これはどのようにして生まれたサービスなんですか?
もともとは、「こういうサービスがあるべきだ」という理念みたいなところからスタートしているんです。
成果の保証ができる技術を発見したので、それをサービスとして提供しはじめた…というものではありません。むしろ、オンライン英会話の機会を提供し続けた先には、受講者のさらなる能力向上をこちらで保証してあげる“成果至上主義なもの“があるべきだ、という考えが始まりです。
プロジェクトとしてスタートしたのは2017年頃のことです。そもそも英語力というのは我々が提供しているオンライン英会話サービスの質によるものだけではなく、「受講者自身のモチベーション」、「学習方法の理解」、「練習量」、「フィードバックのタイミングと適切さ」などが重なり合って、向上していくものですよね。
もし、英語力を向上させたいと考えている人に最も高い価値をもたらすのならば、これらの要素を“すべて”提供してあげるのがベストです。レアジョブはそれをやらないといけないし、やれるだろうという考えもありました。
つまり、最初から提供する具体的なサービス内容がかたまっていたわけではなかった…ということなんですか?(笑)
今だから言えるのですが、正直、そうですね(笑)最初の最初は、本当に大変でした。「スマートメソッド®コース」の前に、前身となる初期のサービスがあったんです。
“英語学習の機会や手段だけでなく、学習成果を提供したい”という強い理念はあったものの、世の中に類似のサービスもなく、まったく新しい試みでした。初期のサービス利用にご協力いただいた方は、合計で約100人。「成果を提供したい」との想いはあっても、そこまでプログラムは完成していませんでした。
それで、「とにかく英語漬けになれば、嫌でも英語力は向上するのではないか」という仮説のもと、オンライン英会話を無制限に受けてもらうなど“ザ・力技”からスタートしたんです。
めちゃくちゃですね…(笑)
当時の受講者のなかには、一日に20レッスンも受けてくださった方もいました。それでも効果が出ないと「何をやらせとんじゃ!」というクレームも出てきます。当然ですよね…。
何かしらの方法で英語を話せるようにすることができるはずだ、という確信はあるし、それを求めて駆け出しのプログラムでありながらも参加してくださっている方もいる。一方で、何が正解なのかは走りながら考えるしかない。それゆえに、途中段階ではどうしても参加者から不満が出てきてしまう。
この頃は、今思い出しても本当につらかったです。私自身、プロジェクトを先導しながらすべてのお客様と直接コミュニケーションをとっていたので、とにかく作って、売って、教えて、フォローして…と、わけもわからず奔走していました。
その後、どのようにサービスは進化していくんですか?
本当に色々なスキームを試して、やはり短期間で英語力を向上させるためには、受講者に合ったベストなカリキュラムを“個別に”組む必要があるという結論に到達したんです。
英語が話せない理由というのは、人によってまちまちです。たとえば、語彙力が足りない人もいれば、英文法の知識がない人もいる。知識も語彙力も十分だけど適切な使い方がでていないだけなのかもしれない。あるいは、そもそも心理的なハードルが話せない原因になっている人もいます。そうした“英語が話せない本質的な理由”の違いによって、やるべきことも全然違いますよね。
受講者の皆さんに一律の指導をしていては、効果を確実にすることはできません。そこで、マンツーマンのトレーナーをつけることが必須だという結論に到達しました。受講者に寄り添い、モチベーション維持や細かいフィードバックにも対応できる専属のトレーナーです。トレーナーを中心に、学習カリキュラムも個別に細かくつくることにしました。
なるほど。
また、その上で成果を保証するとなると、日本側のトレーナーによるフィードバックだけでなく、実際のレッスンを日々受け持っているフィリピン側の講師からのフィードバックも重要になります。ここも、さらに煮詰める必要が出てきました。
たとえば「ここはなんでbutじゃなくてon the contraryなの?」といった抽象的な質問に対して、すべて正確に答えられなければならないんです。こういったプログラムを受講されている方は、サービスの特性上、大手企業の管理職レベル以上の方が多い。講師と受講者の年齢差やキャリアの差もありますし、論破してくる勢いの方もいますので、徹底的にフィードバックの質を高める必要がありました。
講師にはかなり負担を強いることになりますが、やはり成果を保証する英会話に適したプロフェッショナルな講師の育成が必要不可欠なんです。
受講者さんに合わせたプログラム、そして超ハイレベルな講師…ですか。
はい。そして、そこに加えて保証する「成果」って何なのかを定義するために“評価の指標”を導入したこともブレイクスルーの一つです。
指標の導入とは何ですか?
“英語力”って、体重や100m走のタイムのようなものと違って、客観的に定量評価をすることが難しいじゃないですか。「英語力の向上を保証する」と言うのなら、英語力が具体的にどのくらい上がるのかを示すわかりやすい指標が必要だったんです。
ですから、まずは一般的に認知されている指標でありながら、それをレアジョブが独自に定義し直してプログラム開発しないといけない。そんな結論に辿り着いたんです。
さきほど、「成果保証の前提として、語学のコミュニケーション能力別のレベルを示す国際標準規格であるCEFRの評価基準に基づいて受講者の英語力を10段階に区切っている」と言いましたが、各レベルにおける英語力の“定義”を、CEFRの研究を進めていた品質管理部が徹底的に明確にしました。
CEFRで定義されている「話せる」の要素である「表現の幅」「流暢さ」や「文法の正確さ」などを研究し、それを指標として導入する。それによって、“英語が話せる”という曖昧な概念を、極めて定量的に判断できるようになったんです。
この指標の導入によって、本質的な意味で「成果を保証する」と断言できるようになりました。また、「英語が話せる」を研究しつくすことで、受講者が到達すべき状態が以前よりも遥かに具体的になりました。その結果、提案すべきカリキュラムもより最適化されました。
ここで挙げたのは「スマートメソッド®コース」という成果保証のサービスができるまでに開発されたいくつかの要素です。実際にはこれ以外にも色々なポイントをブラッシュアップし、自信を持って「成果を保証できる」と断言できるサービスができあがったんです。こうして、最終的に「スマートメソッド®コース」が完成しました。
なるほど。聞いていると、かなり独自のサービスなんだなという感じがします。
そうですね、今提供している「スマートメソッド®コース」に関しては、相当オリジナリティのあるものだと自負しています。3年間“受講者を英語が話せるようにしたい”というゴールに向かって突き進んできた結果、気づけば斬新なものになっていたなと。
当社には、英語業界に長年携わってきた人間が多くいますが、「ここまで成果にコミットしたメソッドはなかった」と、全員が納得しています。
ところで、深井さん自身のモチベーションというのはどういうところにあるんですか?
私ですか?(笑)
そうですね。よく思い出すのは、さきほどもお話しした初期のサービスを提供し始めたときのことです。「やっぱり、自分はどうせ英語を話せるようになんてならないんだよ」というクレームのお声を、今でも思い出します。このプロジェクトの最初期に、モニターとして参加していただいた方達のためにも、何がなんでも完璧なものを作らないといけないという逼迫した思いがありました。気づけば、それに突き動かされてきたな、と。
「スマートメソッド®コース」が完成して、ようやく心が軽くなったような感じです。背負ってきた十字架を降ろせる感覚というか…(笑)本当に、激動の3年間でしたね。