レアジョブについて

コロナ時代におけるオンラインCEOの悪戦苦闘 ―社長は、会えない社員と“繋がれる”かー

RareJob Philippines, Inc.。首都マニラの北東にあるケソン市に本社を置くレアジョブの海外拠点。新型コロナにより渡航の機会が厳しく制限される中、CEOの西條は、日本からこの会社のマネジメントを続けている。

ニュージーランド、アメリカ、ベトナムと当てもなく放浪し、レアジョブに辿り着いた苦労人、西條。彼がレアジョブグループの海外における最重要拠点であるRareJob Philippines, Inc.のCEOに就任する話が出たのは2020年1月。その直後、コロナが全世界を襲った。

フィリピンは2020年3月後半にいきなりロックダウンとなり、基本的に外出は禁止に。4月にフィリピンへ渡るはずが、当然、キャンセルとなる。

渡航を半年遅らせたものの状況は何も変わらず、結局フィリピンへ渡れぬまま、西條は200人の海外スタッフのトップとしての仕事をスタートする。マネージャー陣の大半とは多少なりとも会ったことはあったが、それ以外ほとんどのスタッフとは面識がない。

オンラインで就任式を開催した。1名対200名。Zoomで挨拶をするも、相手の反応は分からない。ただただ、不安だけが募る。

これまでの海外子会社運営においては、現地で触れ合う中でスタッフとの心の繋がりを醸成してきた。信頼関係の上でマネジメントをしてきた。それが、できない。

一方、コロナによる急激な状況の変化に伴い会社としてのタスクは山積みだった。全スタッフは半ば強制的に在宅勤務となったが、ラップトップコンピューターを持っている社員はほとんどいなかった。まずは早急に200台のラップトップを手配しなくてはならない。

また、自宅が仕事環境に適さないスタッフが多数存在した。フィリピンの一般的な生活様式は、一つ屋根の下で大家族による同居のスタイルである。そもそも自分の部屋がない。机がない。椅子がない。安定したインターネット環境がない。停電は頻繁に起きる。扇風機の音がうるさい。犬の泣き声がうるさい。鶏の泣き声がうるさい…。

さらに、コロナ禍でフィリピン国内の他社、他業種においても在宅勤務の選択肢が増えたことで、退職者が増える部署も出てきた。管理職となっている現地スタッフの数は約10人。そのうち何人かは、相次ぐ退職者の発生に悩まされた。部下との関係を構築すべく懸命に努力したが、彼ら/彼女らもまたコロナの影響で苦戦した。

物理的に断絶されたことで、思ったように醸成されない社長とマネージャーの信頼関係、そしてマネージャーとその部下の信頼関係。その横ではコロナによって積み上がっていくさまざまな問題。今、世界中の多くの会社が、似たような課題を抱えているのかもしれない。

この困難に対し、西條がとった対応策は驚くほどシンプルかつ古典的なものだった。西條は10人以上のマネージャー全員と毎週1回、1対1のミーティングを設定した。

形式的な定例ミーティングを設定するという手段は、現代の流れに背くものかもしれない。しかし西條は、たとえ議題がなくてもこのミーティングをマストとした。毎週、すべてのマネージャーと話す機会を設け、1対1のコミュニケーションをとる。

西條は、仕事における具体的な相談以外の会話を重視した。体調はどうか。家族の状況はどうか。最近面白いことはあったか。そばにいればランチの時にでもしていたであろう無駄話を、何よりも大切にした。腹を割って自分の話もした。

技術が進化し、仕事をシステマティックに進めることができるようになっても、信頼関係は愚直なやりとりの積み重ねからしか生まれない。すべてはそこから始まる。彼は確信していた。

西條は、自分の姿を相手に見せることにこだわった。「寝癖が直っていない」「化粧をしていない」という理由でカメラをオンにしたがらないマネージャー達に対して、向こうのカメラをオンにすることは求めない。ただし、自分のカメラをオフにすることは絶対になかった。

相手の顔が見えなくても、西條の顔は相手に見えている。彼は真っ黒な画面に向かって、きっとその先にあるであろう、相手の目を見て話し続けた。

2021年になれば渡航できるだろうとたかをくくっていたが、状況は一向に変化しない。フィリピンでは世界最長と言われるロックダウンが続き、外出した際の罰則も設けられた。ルールは2週間ごとに変わっていき、混沌とした状態が続いた。

結局、2020年に社長に就任して以降、2022年3月現在に至るまで、西條がフィリピンの地に降り立つことは一度もなかった。できなかった。

一度も会ったことがない社長。無理やりにでも無駄話の時間を設定し、自分だけ現地にいない孤独を吐露し、何がなんでもこちらを見つめてくる日本人の社長。彼をみて現地のスタッフはどう思ったのだろうか。

努力の結果は、思わぬ形で表れる。一人のマネージャーに、変化があった。控えめな男である。優しい心を持っているが、コミュニケーションが得意なタイプとは言えない、そんな人間だった。

部下からマネージャーに対しての満足度評価を実施したところ、他のマネージャーに比べ評価が低かった。彼のチームは退職者も増えていた。

コロナ後に採用した部下とは一度も直接会ったことがなく、自らのマネジメントに対して強い課題を感じていた。一方、どうしようもないという無力感も覚えていた。西條は、なかなか心を開いてくれない彼と、1年以上、毎週熱心に会話を続けた。

2022年の年明け、彼から年始の報告があった。年末に、部下たちにささやかなクリスマスプレゼントを渡すためマニラ首都圏を中心としたルソン島を縦断してきたと言う。部下に会って、直接目を見て話してきた。

Day 1
Nathan (Las Pinas) to Reg (Pasig) – 26km
Reg (Pasig) to Rennie (Manila) – 18km
Rennie (Manila) to Eja (Manila) – 2.1km
Eja (Manila) to Nathan (Las Pinas) – 16km

Day 2
Nathan (Las Pinas) to Jen (Batangas) – 71km
Jan (Batangas) to Nathan (Las Pinas) – 71km

Day 3
Nathan (Las Pinas) to Ayen (Novaliches) – 44km
Ayen (Novaliches) to Fatima (Novaliches) – 1.2km
Fatima (Novaliches) to Drake (Tandang Sora) – 7.5km
Drake (Tandang Sora) to Nathan (Las Pinas) – 43km

Day 4
Nathan (Las Pinas) to Sands (Bulacan) – 95km
Sands (Bulacan) to Nathan (Las Pinas) – 95km

Day 5
Nathan (Pangasinan*) to Say (Tarlac) – 78 km
Say (Tarlac) to Nathan (Las Pinas) – 155km

移動総距離722.80 km。彼はプレゼントを片手に独りハンドルを握り、ボロボロの車で走り回った。そこに、「自分にやれることはない」とうなだれるかつての男の姿はなかった。そしてその写真内の一枚一枚の笑顔が全てを物語っていた。

マネージャー達の奮闘を見て、西條の心は震える。自分のやってきたことに、初めて、わずかな手応えを感じ始める。

2022年4月。世界ではまだまだ、不透明な状況はしばらく続くだろう。約3,000キロ離れた日本とフィリピン。かつてと同じ働き方が許されない中、今、信頼関係の本質が問われている。