語り手:レアジョブ創業者 現代表取締役社長 中村 岳
Chapter 0
自分の起業を振り返ってみると、学生時代から積極的にスタートアップに関わって、優れたビジネスアイデアとビジョンで資金を調達して…、というような所謂“the スタートアップ”という感じは全くありません。
場面場面で、これが良いんじゃないかなと都度判断を重ねた結果が起業であり、Skype英会話というモデルであり、上場という形での資金調達でした。
自分自身とんでもないカリスマ性があるわけでもないし、破天荒なエピソードがあるというわけでもない。新卒で入社したのも、普通の大企業です。
結果的に起業から10年が経ち、今こうして社長をしていますが、振り返ると、良くも悪くも普通のことを粘り強く泥臭くやってきた結果です。
ただ、逆に言うと、今、自分の姿にどこか悶々としていて、「もう少し大きなことがしたい」、「もっと世の中の役に立つようなことがしたい」と思っている“普通の”人にとっては、自分の起業エピソードは役に立つかもしれない。
起業と言うとジョブズやベゾスのような“壮大な野望”が必要だというイメージがありますが、きっとそこまでのものがなくても、もう少し凡人であったとしても、淡々とコツコツと自分の道を進んでいけば、昔の自分では想像すらつかなかったような壮観な景色を見ることが出来る。
今、そんなことを、思っています。
Chapter 1
大学の時の自分に「起業」について聞いたら、「まあそういう選択があっても良いかなあ…」と答えると思います。非常に曖昧な返事ですが、本当に、起業についてはそれくらいの認識でした。
大学院では “ピアツーピアネットワーク”(以下P2P)という領域を研究していたんですが、これは何かと言うとクライアントサーバ方式に対抗するモデルで、コンピュータ同士が対等に通信を行う方法のことなんです。
馴染みのない人はピンと来ないかもしれないですが、とにかく端末同士が通信する際にサーバを経由せず直接端末同士が通信するというやり方で、そのP2Pというものを使って多対多のビデオ会議をする際に、どのような経路を利用すると最適化されるのか、というような研究をやっていました。
あ、今ネットで検索したら当時書いた論文が出てきましたね。「ホスト情報を利用した多対多アプリケーションレベル経路制御手法」
http://simple-project.org/publications/2003/kawada-ieice-03s.pdf
こんな題名を聞いても一切意味が分からないと思うんですが、とにかく様々なアプリケーションがP2Pを利用して生まれてくる可能性があると感じたし、いずれにしても物凄い可能性を秘めている分野だと思って興味を持っていました。
そんな、研究に精を出している普通の学生でしたが、いざ就職となります。当時2004年は、ガラケーで900iシリーズが出た頃。
僕は、モバイルがもっと普及し、モバイル使ったサービスがどんどん出てくるだろうと考えていて、そういう意味では“個人が主”となる時代になると思っていました。だからこそ一人一台のモバイルがいいなと。結果的にdocomoに就職しました。
そんなこんなで研究職としてdocomoに就職して普通に働き始めるんですが、2年ほど山奥で研究をし続けるうちに、どこか自分の仕事に対して悶々とした思いを感じるようになります。
当時やっていたことは研究職としてとにかく特許を書いてドコモの特許件数に貢献する、というような仕事だったのですが、「自分は会社の利益に確り貢献しているんだろうか」とか、「自分は世の中、社会に新たな価値を与えているのか」とか、漠然と考えるようになりました。この研究の仕事だけを続けていて、良いのか、と。
そんな折に、中高の同級生だった加藤が、「一緒にビジネスをやらないか」と誘って来たんです。丁度時間もある頃だったので、面白そうなことは何でもやってみよう、と。
そんなこんなで、特にアイデアも資金もない中、2人でビジネスを始めることになりました。2006年、社会人3年目の頃です。
Chapter 2
実は最初にやっていたのは、人材仲介のビジネスなんです。これは共同創業者だった加藤が、知り合いの社長から持って来た話だったから、というだけなのですが。
この時に、その人にあったユニークな仕事を見つける、という意味で「レア・ジョブ」という社名をつけました。後にこの会社名でオンライン英会話の企業として上場するとは、つゆにも思っていませんでした。
その後人材仲介のビジネスは上手く立ち行かなくなって、色々とピボットしていきます。あれでもない、これでもない、と。
ただ、人材仲介のビジネスをやっていた当時から、「何か、個人の可能性を広げるような、チャンスをもたらすような仕事が良いよね」という話は漠然としていて、思えば、その軸からはブレていなかった。2人ともそういうのが好きだったんでしょうね。
そんな中、当時、オンライン英会話という領域で海外のリソースを使って日本人の英会話のあり方を変えるような会社がいくつか立ち上がっていて、我々もそこに大きな可能性を感じたので英会話という方針に舵を切りました。
僕自身、幼少期をエジプトで過ごしたことにより物事の見え方だとか大きく変わった側面があったので、英語を使って日本以外の景色を見ることで、色々なチャンスが広がるだろうと肌感覚で思っていた。
英会話のあり方を変えれば、“英語”という切り口から、日本人のチャンスを広げることが出来るだろう、と。
docomoに入った時も、人材仲介をしていた時も、英会話に切り替えた時も、漠然とした言い方ですが、僕は“個人”が大事になる時代が来ると思っていて、そういう意味で、個人が何かチャンスを掴むきっかけになるようなことがしたいと思っていたんです。加藤もそういう、人の可能性に関する話が好きだった。
あの時2人で話していた漠然とした想いは、後に“Chances for everyone everywhere.”という形でレアジョブのビジョンとして明文化されます。
振り返ってみると、プロダクトよりも先に、漠然とした“想い”みたいなのがあったんだとは思います。
Chapter 3
さて、いざオンライン英会話の会社としてスタートすると、海外の講師のレッスンを日本に届けるには、どのソフトを使うのが一番良いか、というのが最も大きな問題になりました。
当時、MSNメッセンジャー等他の選択肢もいくつかあって、音質や、利用者にとっての使い勝手から考えてどれがベストだろうかと検討していた。あれでもない、これでもないと色々と見比べていました。
そんな折、当時まだ今ほどメジャーではなかった“Skype”というツールを検討した時に、これだ!と思ったんです。完全にビビッときた。
そこまでメジャーでなかったSkypeの構造に関して、僕は他の事業者に比べて凄く詳しかったんですが、なぜだと思いますか?
これ、Skypeが当時“ピアツーピアネットワーク”を使っていたからなんです。P2Pの研究をする中で、実は大学院生の時にすでにSkypeのことを知っていたし、どういう風に動いているのか仕組みも理解していた。
だからSkypeの可能性や強みについて、一歩踏み込んで理解出来ていました。そしてSkypeをソフトとして利用していく中でのトラブルなんかも迅速に対応できた。特に具体的な理由もなくやっていた研究が偶然生きました。
過去の経験って予期しない形で繋がるものです。まさにスティーブジョブスの言っていた通り、“connecting the dots”だと思います。
Chapter 4
こんな流れで、Skypeを利用したオンライン英会話という軸が固まって、講師は英語力やホスピタリティからフィリピン人の人達にお願いしようということが決まって、信頼出来るフィリピン人パートナーを探して、海外にボロボロのオフィスを作って…。
そうやって、一つ一つ、泥臭く考えて判断を積み重ねて、やってきました。それは今でも変わっていないです。
当時何の収益もない中で漠然と考えていた、「人にチャンスを与えるような仕事がしたい」という思いは、それなりの経済的なインパクトを以て達成できるところまで来ました。
今、レアジョブは間違いなく日本人1,000万人を英語が話せるように出来るし、意志ある人達がチャンスを掴むためのきっかけを提供することが出来る。もうそのリアリティや規模は、かつて人材仲介をしていた時と、比べ物になりません。
でも、愚直にコツコツと小さな判断を積み重ねていくという意味では、当時からやることは何も変わっていないんです。
これまでもそうして来ましたし、これからもそうしていくんだろうと、そんな風に思います。