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レアジョブに来た理由 −株主「三井物産」からレアジョブへ

坂江 裕美
慶応義塾大学環境情報学部卒業後、2002年に三井物産株式会社に入社し、金融部門、航空部門、教育部門、ヘルスケア部門の法人営業・関係会社及び病院経営、人事部門でのグローバル人材育成に従事。2023年ミネルバ大学にて理学修士取得予定。2021年6月に当社へ入社し、㈱エンビジョン取締役就任。

レアジョブに来るまではどのようなキャリアだったんですか?

 
新卒からずっと三井物産で、金融・人事・航空・教育・ヘルスケアと様々な部門を経験しました。

入社した時点で、漠然と「教育」に関心があり、三井物産在籍中にも人事部でグローバルリーダー育成プログラムの立ち上げの責任者や、レアジョブへの出資をしている営業部、ボランティアで軽井沢のインターナショナルスクールの中高生向けオンライン講座立ち上げのお手伝いなど、色々な形で人材育成に関わりました。

最後はヘルスケア部門にいたのですが、教育に関わりたいという気持ちが消えず、レアジョブに転職しました。


 

え、三井物産というと、レアジョブの株主ですね(笑)

 
そうですね(笑)実際、最初は投資先の担当という形で三井物産社員としてレアジョブに関わっていました。

中期経営計画を練る幹部合宿に参加させて貰ったり、取締役会のオブザーブをするなかで、なんてスピード感があって、柔軟で、本気の勝負をして成果にこだわる会社なのだろうと、当時の同僚たちと共にファンになったのを覚えています。

同時に株主の立場だと関与できる限界もあって、もっと事業を創るところに参画したいと感じていました。

レアジョブの担当を離れてから少し経った頃に、「坂江がうちに来る夢をみた。」とレアジョブ取締役の方から不思議な連絡(ヘッドハンティング…?)を頂き、自分が成し遂げたいこととあわせて深く考え、これもご縁と思い転職しました(笑) 物産の方々も素晴らしいチャンスだ、いつまでも仲間だから、と応援してくれて、本当に感謝しています。
 

そもそも、なぜ、それほどまで「教育」に興味が?

 
少し長くなるのですが、父の仕事の関係で生まれて間もなく渡米し、それから小学校2年生まで海外で過ごしたことが関係しています。その間、モンテッソーリ教育を受けて育ちました。

モンテッソーリ教育は、「子供には自分で自分のことを教育し成長する力がある」という考え方がベースとなっており、好きな時に好きな科目を自分の進めたい順番とペースで学んでいきます。

日本の教育からは想像がつきにくいと思うのですが、決まったカリキュラムというものはなく、保育園の頃から毎日自分のやるべきだと思うことを先生に意見して、相談して進めていきます。

「いつかカエルの解剖をしたい!」と思えば、できるようになるまでに知る必要があることを周りの誰かに聞いたり自分なりに調べたりして、先生に相談して数カ月後には念願のカエルの解剖をする。「学校にツリーハウスを作りたい!」と言って、小学校低学年ながら設計図を作って皆を巻き込んで建て始めた子もいました。何でもありです。

学ぶことが純粋に楽しくて学校が大好きだったのですが、小学校3年生で日本に帰ってきて一変します。成田近隣の街にある小さな小学校で、片言の日本語を話すアメリカ帰りの奔放な女の子は宇宙人扱いでした(笑)
 

 
無論、言語だけでなく日本の文化への理解もゼロ。ろくに日本語も話せない中、学級委員と聞いてoh, cool!と転校初日に立候補し、「なにこの子?」という視線を浴びます。

音楽の時間では皆と一緒の縦笛じゃなくてフルートを吹いてみたいと駄々をこね、丸暗記じゃなくて理由を知りたい、教科書とは違う方法で算数は解く、理科の実験も自分でやり方を決めたい、もう理解している中身の宿題はやる必要がない、と先生を困らせ散々な状態でした。

周りと違うことで色々と揶揄される対象にもなり、徐々に自分に自信がなくなっていって、中学校に上がる頃にはすっかり大人しくなっていました。

目立つことを恐れるようになり、英語の時間でもわざと発音を悪くして英語を読んだり自分なりに日本に適応しようと試行錯誤していたのだと思います。この頃にはすでに、理想の「教育」というものに関してあれこれと自分なりに考えて教員だった祖父と議論するようになっていました。
 

日米の教育に、徹底的に揉まれたんですね。その後は…?

 
父が再び転勤となり、中3でアメリカの公立高校に転校しました。ようやくアメリカに戻れると歓喜するのですが、いざアメリカに行ってみると今度は英語が全く通用しなくなっていました。当たり前ですが、小2と中3の英語って全然違うんですよね。

毎晩夜中過ぎまで泣きながら宿題をこなしてどうにかキャッチアップすると、次は英語がわかるようになった故にアジア人に対する差別を体感しました。イエロー、ジャップだと面と向かって言われ、第二次世界大戦に関するディベートでは私対クラス全員というような状況も経験しました(笑)色々悔しかったので勉強では絶対負けないようにしました。

更に国籍や肌の色で馬鹿にされないための作戦として、高1でチアリーディングチームのオーディションに応募して、学校でアジア人初のチアリーダーになってからは急に周りに認めて貰えるようになり、楽しく高校生活を終えました。自分も含めて中高生の頃ってどこの国も意外と単純ということですかね(笑)

このような経験があったので、「教育」の力で日本人、そしてアジア人が馬鹿にされることなく、異なる価値観の人たちとフラットに協力しあって世の中をより良くしていくための第一歩として、英語教育がどうあるべきか、英語が話せるだけでなく何ができるようにならないといけないか、ということに関して早くから自分の中に明確な考えがありました。

このような経験からなのか、三井物産時代に社内のグローバルリーダー育成プログラムを立ち上げた際に、多くの幹部候補の方が、英語のディスカッションで苦労をしながら世界と互角に戦おうと努力を重ねている姿を見て、とても“共感のできるもどかしさ”も感じたんです。

世界を相手にしたビジネスで既に結果を残している素晴らしい先輩方が、英語のハードルさえなければ、もっと大胆にもっと大きなインパクトを世界に与えられるポテンシャルがあるのではないかと感じていました。
 

なるほど。痛いほど伝わってきました。ありがとうございます。 最後に、入社してみてレアジョブはどうですか?率直に。

 
もともとレアジョブの魅力は知っていたので、良い点に関しては前職の頃に感じたお話の通りです。

あえて気づいた点というと、皆さんとてつもなく親切だな、ということですかね。会社が変わったと思えないくらいスムーズに溶け込めた気がします。

課題は、まだあまり見えていませんが、奇想天外な発想をするような、よい意味で不真面目な人がもっといても良いのかなと思います(笑) その方が新しい価値の創出につながるかも知れません。