29歳の若さで3つの海外子会社のCEOに抜擢され、現在500人ものスタッフを率いて経営を任されている水島さん。レアジョブに入るや否や、ゆとり世代丸出しの緩い態度で上司の不安を煽るが、いざ仕事が始まると別人に。
彼はどのように結果を残し、いちスタッフからCEOへ登り詰めたのか。前回に続き、彼を最も近くで見てきた元上司の西條さんからも当時のリアルな状況を聞く。
新卒でGoogleに入社。2016年、レアジョブに入社し、まもなくENVIZION PHILIPPINES, INC.の立ち上げに参画。その後COOとしてオペレーション設計、人事システム設計を経て、2018年9月CEO就任。
2019年には子ども向けオンライン英会話サービスのRipple Kids Educational Services, Inc、および英語学習サービスの「評価」機能における事業展開を担うRareJob English Assessment, Inc.のCEOに着任。現在3つの会社のCEOとして500人のマネジメントに従事。
大学卒業後、外資系レストラン勤務を経てワーキングホリデーでニュージーランドへ。その後、アメリカで大学院まで卒業し、帰国。ソーシャルゲーム関連の企業に転職し、同社の海外拠点立ち上げの担当としてベトナムに渡る。
2016年、レアジョブに入社し、子会社の立ち上げのためにフィリピンへ渡り、初代、Envizion Philippines, Inc. CEOとして海外子会社の立ち上げに従事。
カガヤン・デ・オロ 立ち上げから半年ほど

割と没頭して仕事していました。久しぶりに、何かに一心不乱に取り組めていて、充実感がありましたね。
ただ、仕事をする上で「特別こういうことを意識していた」というようなものは、あまりなかった気がします。とにかく、会社を成長させていくために必要なことをやっていました。
平社員として、まずはスクールレッスン(学校法人向けのレッスン)周りのみを任されていたんですが、その後半年くらいの間に、レアジョブのサービス全体のレッスン、フロントのオペレーション、バックオフィスのオペレーションと任せて貰える仕事が順々に増えていきました。
思えば、西條さんとの間で何か感情的な言い合いになったり邪険なムードになったりということが一度もなくて、それは、よくよく考えてみるとすごいことだったかもしれませんね。フィリピンに来る前は、お互いに不信感しか持っていなかったので(笑)
これだけ年齢差もあり、価値観も違う人と異国の地でうまくやれたのは、ひとえに西條さんの男気です。
「社会人はこうあるべき」だとか、「こういうものは将来必ず役に立つ」みたいな、いわゆるザ・オジサンな説教じみたことを何一つ言ってこなかったです。そのやり方が、本質的に会社のためになっているかと?いうシンプルなポイントでしか、議論をしたことがなかった。
しかも、自分の意見を通したいという変なプライドみたいなものが全くなくて、常にフラットな目線で話してくれるんです。懐が深い人だな、と。
とにかく、それまで働いたどの職場の上司よりもやりやすかったですね。
COO、そしてCEOへ

ミンダナオ島カガヤン・デ・オロに来てから半年が過ぎた頃に、COOというポジションに任命されました。
実際にやっていることはいちスタッフの時とあまり変わらなかったんですが、フィリピンでは若い人が高い役職に就くことがなかったので、部下に対する接し方などは気を遣いましたね。「なんでこの若造が?」と思われないように。
COOになってから半年、つまりフィリピンに来て丸一年くらいが経った頃には、会社も大分安定して回るようになってきました。
もう日常的にとんでもない事件が勃発することもありませんし、すぐに修正しないといけないポイントも日に日に少なくなってきて、仕事がルーティン化されてきました。
会社としては良いことなんですが、徐々に面白さを感じづらくなってきていたのは事実です。燃え尽きやすいというか、飽きやすいというか、突如としてやる気が失われてしまう自分の特性が姿を現しかけていました。
西條さんから「俺はカガヤン・デ・オロを離れるから、CEOとして1人で会社を回してくれ」と告げられたのはこの頃です。
半年くらいで水島君が会社のことをほとんどすべて見ているような状態になったので、自然と、彼にCOOの立場にするという判断になりました。
フィリピンでは若い人が高い役職につくことは珍しいので、「なんで水島君が?」と思っている現地スタッフも多少はいたかもしれません。とはいえ、彼はとにかく働くし、社員のケアをするし、結果も残すので、周りはただただ納得していったという感じですね。
ただ、プロジェクト開始から1年が過ぎ、会社が軌道に乗ってきた頃、露骨につまらなさそうにしている水島君を見かけるようになりました。0→1は好きだけど、10を少しずつ11とか12にすることには、そこまでの興味はなさそうでした。
このままだと彼がヤル気をなくし、会社を突然去ってしまうのは目に見えていました。そこで、異例ではありますが、20代の彼をこの会社のCEOとして抜擢する運びになります。
実際、途中からは彼がほぼすべての業務を見ていましたので、僕も何か問題があったら出ていって責任取るだけ…という立場になっていましたし(笑)
彼を手放した場合のレアジョブの損失は計り知れません。能力的にも全く問題はないし、それがベストな選択ではないかと、僕はかなり早い段階から本社と話していました。
平社員・水島がCEOになったのは、このように“なるべくして” という流れだったんです。
僕からはこれが最後になりますが、彼を見ていて本当に思うのは「仕事をしている理由」みたいなものが私たち世代と全然違うんだな、ということです。
「こういう風に成長したい」だとか「えらくなりたい」だとか「ここに貢献したい」だとか、そういう考えではなくて、良くも悪くも「その時にやりたいことをしている」だけなんだな、と。
課題を、何か他の目的を達成するためにやってるんじゃないんですよね。課題自体を楽しんでいる。目の前の課題をクリアしていくこと自体が目的なんです。
でも、逆にそういう人間が最強なのかもしれない、とすら思わされましたね。
終わりに
以上、僕の人生の振り返りでした。熱い信念や高い志みたいなものを持つことが良しとされる世の中ですが、そういうものとは違う動機で働いている人間もいるということが、同じ境遇にいる人の支えやヒントになれば幸いです。
最後に思い切り宣伝しておきますが、レアジョブでは一緒に働く仲間を募集しています。
「英語を使って仕事がしたい!」という人、「日本の英語教育を変えていきたい!」という人、そして「そんなことには全く興味なし!!ただ暇で、飢えている!」というそこのあなた、ドシドシご応募をお待ちしております(笑)

本人は「ただ会社のためになることをしていただけ」と言いそうですが、やっぱり私目線ですごいなと思ったのは、自分でグングン仕事を広げていったことですよね。これはなかなかできることじゃないと思います。
元々スクールレッスンだけを担当するいちスタッフだったはずなのに、「人事制度はこうしたほうが良いんじゃないですか?」とか「このオペレーション、こうした方が良いんじゃないですか?」と守備範囲外のことをバンバン提案してくるんです。
そして、それを自分の仕事として勝手にやってしまう。
自分の範囲外でも会社のためになることはやるという高い目線が、自然と備わっている人間でしたね。サッカーではボランチをやっていたらしいですが、そういう視野の広さみたいなのは猛烈に感じました。
結果、自然と彼に任せる仕事が増えていって、半年後にはIT以外のほぼすべての仕事を見ているような状態になりました。
あとは、柔軟性ですね。とにかく固定概念に縛られていなくて発想が柔軟です。まあ、そんな奴じゃないとGoogle辞めてフィリピンのミンダナオ島に来ないか(笑)
水島君の扱い方というか…彼との接し方において、何かすごく工夫したという記憶はあまりないんですけど、まあ表面的に感じる違和感を完全に無視すれば、ものすごく頼りになるなというのが率直な感想でしたね。
「ゆとり世代」という感じで彼のことをくくっていいのかわからないんですが、そういう世代に対する見方って、この期間でものすごく変わった気がします。自分も知らないうちに「ゆとり世代」ってふらふらしてるものだという思い込みがあったことに気づいたし、水島さんと働いていることで、彼自身がそういう先入観を覆してくれた。
仕事にも人生にも何かわかりやすい一本筋を通すことを美学としてる世代の人間には、彼らの考えを理解するのは難しいかもしれません。でも、ただフラフラしてるだけじゃないんだなと。
そして、フラフラしているが故の柔軟性だったり適応力だったりというものは、時に計り知れないほどの力を発揮するな、と。