働くひと

「NSCでお笑い芸人を目指した経験」は、その後のエンジニア→プロダクトマネージャーとしてのキャリアに、何をもたらしたのか

 
吉本興業の芸人養成所である吉本総合芸能学院(以下NSC)でお笑い芸人を目指し、その後、全く経験のないエンジニアの世界に入った男。森洋一郎。

「芸人」から「エンジニア」、「プロダクトマネージャー」という対極ともとれるキャリアを経験する過程で、彼は何を感じたのか。芸人になろうと努力する中で身につけたものは、彼のエンジニアとしての仕事にどのような影響を与えているのか。

極端なキャリアを生きる中で、彼だけが見たものを、伺いました。

登場人物

森:お笑い芸人→エンジニア→プロダクトマネージャーの唯一のキャリアを歩む男
聴き手:インタビューをする為に雇われた、外部の人。

NSCって実際どんな感じなんですか?

 

芸人って、どういうタイミングで目指そうと思うものなんですか?


 

小学生くらいの時から自分で脚本を書いて劇をやるような子供だったんです。

周りから「吉本行き」と言われていましたし、自分としてはお笑い芸人以外の道を考えたこともなかった。大学卒業後、NSCに12期生として入りました。

NSCでは実際どういう生活を送るんですか?毎日全員が漫才発表しあって…という感じですか?全くイメージが沸かないのですが。

同期は600人くらいいて、週に4-5日レッスンがあります。僕の同期は、有名どころでは渡辺直美やジャングルポケットなんかがいました。ただ楽しげなムードは一切なくて、ひたすら厳しい場所です。「少年院」と呼ばれてましたね。

今までクラスの人気者みたいなポジションだった人間が集まって、ひたすら毎日スベって自信をなくします。

挨拶の声が小さいだけで怒鳴られ、「ボールペンの音がうるさい」だとか「口が臭い」という理由で帰らせられる人もいました。一ヶ月で半分くらい辞めるんです。

え…

皆でワイワイ、という考え方は一切ないんです。福島県の猪苗代で寒い季節にバラエティ番組を体験しようというコンセプトの合宿があったんですが、まずは全員プールの周りに集められます。

そこに、ゴムボールを持った作家さんが突如現れて、プールにそれを投げるんです。で、全員それを取るためにザバアアアーンと飛び込みます。ボールを取った人がそこで一発芸をし、面白かったら宿に帰れる。ダメなら帰れない。そういうことの、繰り返しです。

完全に戦場ですね。


 

しかも、それが四六時中続きます。僕らはスケジュールを知らされていないので、次に何が起こるかわかりません。オール巨人師匠による講演があったのですが、それが終わった時にはもう22時。早朝からずっと過酷なことをやっていたのでそろそろ終わりかな…頭と体が疲れた…と思っていました。そうすると、いきなりスタッフに「阿波踊り講習だ!」と言われ、ワケも分からないまま阿波踊りを踊らされました。

全員真面目に習ったばかりの阿波踊りを踊っていたら、突如、「何でだれも列を乱さんのや!!」といきなりNSCの人が怒ります。予定調和をいかに乱すか、誰がそれを出来るかを試されていました。それが25時くらいまで続いたように記憶しています。

ようやく踊りが終わって部屋に戻ると、寝静まった頃にマスターキーを持ったスタッフがこっそり部屋に入ってきて、作家の先生による目覚ましドッキリ。詳しくは言えないのですが、僕は服を脱ぎました。

飯を食うにも一発ギャグ対決。ものボケだったり、色々なジャンルの戦いが続きます。ウケが取れないと飯もろくに食えません。

怖すぎるんですが。

とんでもない場所です。

NSCって、通っていれば皆卒業できるものなんですか?

いや、卒業するには、何かしらの選抜クラスに入らないといけなくて、そこまで行ける人というのは、実はわずかなんです。

僕は幸い卒業できましたが、そこからさらにテレビに出られる人というのは一握り。

想像以上に厳しい世界でした。濃密過ぎる一年でしたね。

ちなみに、森さんの当時のコンビ名とかって、あるんですか?


 

「たそがれマフィン」です。

「たそがれマフィン」?

はい、「たそがれマフィン」です。

その後、エンジニアになったんですか?

そういうことになりますね。ですから私のキャリアは、正確には「たそがれマフィン」→「エンジニア」→「プロダクトマネージャー」、ということになると思います。

唯一無二としか言いようのないキャリアですね。

そうですね。たしかに、エンジニアからプロダクトマネージャーというのはよく聞きますが、「たそがれマフィン」を経験しているプロダクトマネージャーというのはかなり数が少ないですね。

なんで、芸人からエンジニアになったんですか?

 

エンジニアになった時って、経験とか全くなかったわけですよね?


 

全くなかったです。就職しようと思った時に第2新卒フェアみたいなのがあったので、そこに行きました。喋りには多少自信があったので営業職から見ていたんですが、マンション販売、牛丼チェーン、教材販売と色々説明を聞いてもあまりピンとこなかった。

そんなことをしているうちに、何気なく技術系が集まっている場所を歩いていたら、とある企業の人から声をかけられました。「未経験でも良いからうちに来ちゃいなよ」と、非常に軽いノリで。それでSIerになりました。

なんでSIerはありだな、と思ったんですか?

自分の苦手な分野を強化したいという漠然とした思いがあったんですよね。システムのことってさっぱり分からなかったので、自分が全く分からないということ自体に興味があった。

なるほど。

あと「努力したらした分だけ伸びる分野」という印象があって、それにも憧れがありました。NSCの時にも自分はめちゃくちゃ頑張ったと思うんですが、例えば渡辺直美みたいな圧倒的な存在を見てしまうと、努力の範疇を超えているな、と。

それはリアルですね。ちなみに最初の仕事はどういう感じだったんですか?

エンジニアとして大学のネットワーク研究の手伝いなどをしていました。新しいプロトコルを作るという難しい仕事だったのを覚えています。

そこでアメリカでのワークショップの話が出てきて、上司から突然、「英語で説明してね♪」とのお達しがあり、レアジョブへとつながっていきます。

そしてレアジョブに入社しようと思ったが、レアジョブに落とされた?

 

最初はレアジョブ英会話(当時のサービス名:レアジョブ)のユーザーだったということですか?


 

そうです。英語力をつけないといけなくなったのですが、当時TOEICは360点。残業は100時間以上。時間がないけど英語力は必要。慌てて検索する。レアジョブ英会話に辿り着く…という流れです。

そこからどうやって入社するんですか?

当時ってまだアーリーアダプターしかいなかったような状態だったんです。でもレアジョブ英会話を使ってみて、「このサービスめちゃくちゃ良いな!」と。

それで、Twitterでレアジョブ英会話に関する情報発信を勝手にやってたんですよね。当時はまだレアジョブ英会話の公式アカウントも数百人しかフォロワーがいなかったような頃です。

おお。熱心なユーザーですね。

そうしたらレアジョブ英会話の中の人から連絡があって「ブログ書いてくれませんか」とか「イベントで話してくれませんか」という話になって。

挙げ句、当時の社長だった加藤さんから「フィリピンに来て下さいよ」とまで言ってもらいました。で、休みの日にフィリピンに行ってレアジョブツアーをして。レアジョブ愛がマックスまで高まったわけです。

ほおお


 

そんな折に、外部からの不正アクセスによってサービスを停止するインシデントが発生し、レアジョブの運営が窮地に立たされるという事件がありました。ネットでは「レアジョブがヤバいんじゃないか」と言われる騒ぎになりました。

そこで、レアジョブを応援しようと思い、そういうハッシュタグを作ったんです。

物凄い愛ですね。

すると、やっぱりオンライン英会話のパイオニアとして英会話レッスンをリーズナブルに提供してきたレアジョブに対する感謝の声だったり、励ましのメッセージだったりがたくさん集まりだしました。

こんなに愛されてるサービスって、素晴らしいな、と。そこでもう、感極まって「レアジョブに入るしかないんだ」「そういう運命だったんだ」と思い、レアジョブの選考に応募しました。

企画がやりたかったので、企画職として応募したんです。

おお…!!ついに…!!


 

そして、落とされました。

おおっっ…?!?!?

今でも悪夢のメールを思い出します。「面接を実施させて頂きまして、厳正なる審査の結果、今回はご縁がなかったとの結論に至りました。」

つ、つらすぎるw

自分の「愛」と「感動」のストーリーは、一体なんだったと。

コントみたいな流れですね。その後、どのように入社するんですか?

いや、企画はダメだったんですが、当時絶望的なほど開発側に人が足りていなかったようで、エンジニアとしての採用であればという話になったんです。

そこでエンジニアの経験も生きてくるんですね。

そうですね。そんな流れで、レアジョブに入社しました。もう6年も前の話です。

レアジョブに入社したことで、TOEICは900点を超え、ベンチプレスは100kgを上げるようになった?

 

レアジョブに入ってからはどうなんですか?


 

最初の2年間はやりたいことが出来なくて辛かったですが、その後、色々と自由に仕事をさせてもらえるようになりました。

何がどのようにつらかったんですか?

企画側をやりたかったんですが、最初は決済担当といって料金をどうするかとかクレカ決済をどうするかとかを考える部署にいたんです。辛かったのは“やりたい事と違う”という感覚からですかね。

なるほど〜。その後はどういうポジションに?


 

決済担当を2年間務めたあとは、プロダクトマネージャーになりました。現在は、Skypeに代わる独自のビデオ通話機能としてリリースした「レッスンルーム」とスマートフォンで予約やレッスンが簡単にできる「レアジョブ英会話アプリ」の担当をしています。念願だったユーザー体験への関わりが持てていますし、ユーザーとしての経験を活かして日々改善を行っています。

英語の勉強を継続しTOEICも900点を超えたので、社内でも“英語も話せる人”という認識になり、クロスボーダーのプロジェクトも任されるようになりました。あとベンチプレスも100kgを超えたのでマッチョ的な立ち位置にもなりました。

充実感ありますね。

そうですね。凄く満足しています。

NSCでの経験は、その後の仕事に何をもたらしたんですか?

 

お笑い芸人を目指していた経験って、やっぱり今の仕事に生きているものなんですか?

はい。間違いなくありますね。自分の一番大きな原体験というか、自分を成すものなんだろうなと今でも思います。

どういうポジティブな影響がありますか?

やっぱり、まずライトなところでいくとコミュニケーションに関するものですかね。

コミュニケーション。


 

ビジネスで求められるコミュニケーション力って、もちろんお笑いで求められるそれとは全く違うんですよ。

別に、できるビジネスマンは笑いが取れるかというと、そういうワケではないじゃないですか。

そうですね。

でも、実は似ている部分もあって、あまりにも緊張状態が強いと円滑にコミュニケーションが取れないことがあります。上司の顔色をあまりにも伺い過ぎると、部下として言いたいことがあっても言えない。

こういうことが、営業だろうとエンジニアだろうと、あらゆるところで起こっていたりします。

確かに、それはありますね。

そこで「緊張を緩和する」ことが出来るようになっているというのは、NSCの経験が生きているように思います。現在僕はプロダクトマネージャーですが、エンジニア、そして色々なステークホルダーとコミュニケーションをとっています。特にステークホルダーは各部門長であることも多いので、緊張状態になりがちです。

そうですよね。

個人的に思うのが、緊張している状態って本質的な議論がしにくいと思ってるんですよね。

はあ。

緊張しているときってある意味集中しているのか、細部がすごく気になってしまう。そして、その細部の指摘に過敏に反応してしまう。

わかる気がします。

ステークホルダーにせよ、チームメンバーにせよ、リラックスした状態で議論しあえるのが、プロダクトをいい方向に向かわせるための重要な要素だと思うんです。ただ、いざミーティングの中で緊張を緩和するのは簡単ではありません。できる時もありますが、難易度が高い。そこで、普段から関係を緩和させておくのが、コミュニケーションにおいて重要だと思うんですよね。

確かに。
そういう嫌な緊張状態って、上の立場の人も困っていたりするって言いますしね。知人で「もう少し突っ込んだことを言ってもらえる状態が良いんだけど、立場上どうしても怖がられてしまう。」という幹部がいました。

ありますよね。もう退職された元上司が「周りは怖がっているのか、距離を感じることもある。でも森君はむしろ、踏み込んでイジってくるくらいだからありがたい。」と言ってくれたのを覚えています。

なるほど。

実際、その元上司を中心とした定例飲み会をやっていたんですが、敢えてそういう場で突っ込んでイジってみたりする。たぶん他の社員からするとイジるには怖い存在だと思うのですが、敢えて。

それは凄い飲み会ですね。

それが上手くいくと本当に距離感が縮まるんですよね。一度そういう場があると、いざ仕事に戻ってもやりとりがスムーズになります。

その飲み会は、回を重ねるに連れて噂を聞いた参加希望者が増えていきました。
みんなも緩和した環境でコミュニケーションを取りたいんだと感じましたし、僕だけではなくみんながイジれるという普段ではありえない空間でした。

変な気遣いだったり、ちょっとした人見知りだったりが災いしてのコミュニケーションコストというのは、少し踏み込みさえすれば解消出来ると思っています。

なんか、良いですね。


 

あと、NSCの経験が自分にもたらしているものって、やっぱり「情熱」みたいなところになると思います。

情熱、ですか。

結局、お笑い芸人を諦めた事実を完全に自分の中で振り切れているのかというと、今でもそうではない気がするんですよね。

はあ

心のどこかに、「あの時そのまま芸人を目指して頑張っていたら、どうなっていたんだろう。」という気持ちがあります。それは、心のどこかに、ずっとあるんですよね。

物心ついた時から追いかけてきた夢ですもんね。

だから、お笑いの道は辞めて就職しようと思った時に、過去を振り返らないように、将来の自分に向けて手紙を書いたんです。

「今、自分はこういう考えを持って夢を諦めることにした。それが自分の決めたことやから。」という内容を。

なるほど。


 

だからこそ「自分は芸人ではないビジネスの道でいくと決めたんだから、それなら結果を出さないと」という思いがあります。

あの時の判断は間違っていなかったと胸を張れるようになるために、どうしても結果を出さないといけない。

だからシステムの勉強も頑張って、英語の勉強も頑張って、上手くいかない日も、何かしらの努力ができるんだと思います。

一度何かに没頭した経験があるというのは、強いですね。

そうですね。僕にとっては、それが「お笑い」だったということだと思います。

NSCで切磋琢磨した仲間がテレビに映ると、否が応でも当時のことを思い出します。その度に「自分も今お笑いに注いだ情熱の残り火で、こうやってビジネスの世界で頑張っているんだぞ」と奮い立たせています。そして、その情熱の火が色を変えて、少しずつ大きくなっているのを感じます。

そういう意味で、あのNSCでの無茶ぶりの毎日に、本当に感謝しているんです。

〜終〜